24節気 大寒 だいかん(71候 みずさわ あつくかたし)

 

 暖かだった寒の入りがここに来て寒波。やはりツジツマを合わされそうですね。小雪の舞う大寒となりました。

 冬季もあと二週間でおしまいでいよいよ新春に向けての心の準備をする候となりました。ぐっと冷え込むこの時期に次への成長のエネルギーを内に抱き春の到来を待つものでしょうか。この時期があるからこそ春になることの喜びは人々の中でも一入なのでしょうけれど。それにしてもこの寒さ早く去ってくれと願っております。

 

 学校や会社では卒業とか退職とか異動とかで人との別れなどもだんだんわかってくるのもこの時期でちょっぴりさみしい頃でもあります。いつの頃からか節分には巻きずしを丸かぶりするなどということが始まりました。私の子供の頃かな。お寿司屋さんの商魂が実を結んだのかもしれません。この寒の時期に行きつけの紅茶屋さんが美味しいソフトクリーム販売をされています。「幸せを呼びこむ紅茶のソフトクリーム」がこの時期の幸せの定番にもなればいいなと思っています。

 大寒の最後の日は”豆まき”しっかり蒔いて自分の幸せ、人の幸せを呼び込みたいものです。

23節気 小寒 しょうかん(68候 すいせん うごく)

 

 暖かな寒の入り。それでも寒いので暖房をつけていると頭がぼんやりとして眠たくなってきます。ブルブルふるえるのも嫌なものですが、頭をすっきりとはしたいものです。

 永い時間の中ではこのような変わった気候も起こるのでしょうからそれはそれとしてありがたく過ごしたいと思います。でもまあそのうち、神様のきまぐれで気候のツジツマが合わされるようなことも起こるのではないかなと、思っています。大きな合わせ方をしてもらいたくはないのですけれどね。

 

 山の中に住んでいるので、気温がぐっと下がると道が凍ることがあります。クリスマスあたりに車をスタッドレスタイヤにするのですけれど、今はどんどんすり減って精神衛生上よくありません^^; とはいうものの、雪が積もったり、道が凍ったりするのを望んでいるのかと言えば決してそうではないのですけれどね。

 若いころ、車で信州へスキーによく行っていました。その時にはスキー場がパウダースノーなどになっていることをとても強く望むのですが、そこへ行くまでの道には氷雪のないことをさらに強く望んでおりました。勝手なものであります。

 

 

22節気 冬至 とうじ(65候 しかのつの おつる)

 

 太陽の力が一番弱くなる日。南瓜・蓮根・人参・銀杏・金柑・寒天・饂飩は冬至の七種というそうです。「ん」が2つもあって運のつくもなのだそうですが。一陽来復、明日からまた日のエネルギーが蘇っていきます。「運」も上昇ということで、いよいよ新年に向かって新しく気が動き出す頃なのでしょう。かぼちゃを食べて、ゆず湯につかって元気を取り戻しましょうか。

 

 そうこうしているうちに、今年もクリスマスのイベントを残すのみとなりました。べつに信者ではありませんから、イベントをしなくてもいいのですけれど、何も無しで大晦日を迎えるのもなんだかつまらない気持ちになりますので、今回はどんなケーキを食べようかなどとワクワク思いながら、過ごすのも年末の楽しみでもあります。いろいろなこと、さまざまな人に出会って、とても嬉しくちょっぴ哀しい1年だったことを味わうのも、この時期だから出来ることなのかなと思うのであります。

 

 

21節気 大雪 たいせつ(62候 くま あなにこもる)

 

 寒さのために目は覚めてしまいますが、ベットから起き上がるに時間がかかります。ちょうどこ二十日余りの月が明け方東の空に三日月模様で金星の近くとランデブーをしています。ほんの3日ほどです。寒いけれどもこんな風景を見ると心が洗われるような気がします。この時期このお月様に会うのが楽しみです。

 今日から冬至までの間が陽の光が最も弱くなって行く期間なのだそうです。陰の気のしっぽの先部分まできました。

 

 この前まで、紅葉のことが気になっておりましたが、師走の声を聞くと今度はクリスマスのイルミネーションが気になります。LEDがキラキラと色を放っているだけなのですが、どうして人はそれに心動かされるのでしょうね。音楽もそうですよね、さまざまな音色が人の心を打ちます。神がなせることや人がなせることに、どこかでときめいていることが「生きているなぁ」という感覚があって私にはいいのもであります。 

 

 

20節気 小雪 しょうせつ(59候 さくふう はをはらう)

 

 小雪が舞い始める候なのですがエルニーニョの影響なのでしょうか気温があまり下がらない日が続いています。また、天高い空もほとんどないどんよりとした日々です。なんだか世界の状況をイメージしているようです。

 先日、京都へ紅葉狩りに行ってきました。北野天満宮の御土居の紅葉は上から眺められるような視点なので面白いかなと思ったのですが、まだ青い部分のほうが多く楽しむにはもう1週間ほど先になるみたいでした。昨年のこの時期は綺麗に染まった山々を楽しむことが出来たのですが、全体的にもかなり遅れているようですね。

 

 暖かいと言ってもやはりこの時期はお鍋ですね。水炊き、すき焼き、おでん云々いろいろ巡るのですけれど、白菜の美味しい季節でもあります。妹尾河童さんが紹介されて有名になったのですが”ピエンロー”というのがあります。昆布出汁に干椎茸、かしわ、豚バラ肉、白菜、はるさめ、ごま油も入れてこれが結構美味しいのです。簡単で温まってほっこりできますね。

 

 


19節気 立冬 りっとう(56候 ち はじめてこおる)

 

 また冬なのかとあらためて思います。紅葉もだいぶん色づいた便りも聞こえ、そろそろ1年のクロージングを考えだす頃でもあります。カニが解禁となって、日本海側から”カニすき”のお誘いの案内が届きました。年に1度ぐらいで十分なのですが、冬のお鍋の定番、今季はありつけるかな。

 そうそう”生姜パウダー”というのを試しに買ってみました。かなり細かな粉にしたものです。生姜は加熱前は殺菌や免疫力を高めたり、加熱後は新陳代謝の促進をするのだそうで、風邪の予防や治癒に効果があるようですね。それはさておき、料理にパラリとかけるといい風味を出してくれます。

 

 ここから年末まで、紅葉にでかけたり、連休があったり、望年会でぐったり、クリスマスになったりで、時の流れを早く感じてしまいます。バタバタと過ぎていきますが、大切なこともあったりしますので流されないようにしておきたいものです。

 


18節気 霜降 そうこう(53候 しぐれ  ときどきほどこす)

 

 ここのところ気候も安定して晴れの日が続いていますが、関西に木枯らし1号も吹きました。季節の移り変わりが早いです。なんだか寒い冬になっていきそうな予感です。25日は十三夜のお月見。空気の澄んだ空にポカリと浮かぶ月を見ては、心癒される秋の風情を感じています。街路樹が日増しに色づいてきてくる寂しい秋の時の推移とは反対に、色づく街や山々の光景に心をときめかしたりしています。

 

 「天高く馬肥ゆ」の実りの秋でもあります。体重を増やさないように美味しいものをたくさん食べたいという「矛盾」に満ちた思いがよぎっていきます。

 

 

17節気 寒露 かんろ(50候 きっか ひらく)

 

 夕方になると、いつの間にか冷たい空気を感じて身を震わせてしまします。朝の洗面時にも温かな水がほしい頃になります。空気中の湿気が夜の間に冷やされて、地上に落ち、草花に宿っているところに触れてその冷たさに驚きにこの季の言葉があるのでしょうか。秋分点を通過すると本当に夜がやってくるのが早いです。秋冷を感じる中で頭は冴えてくるので、映画を見たり本を読んだり文を書いたりで、秋の夜長とはよくいったものです。

 

 もうすぐコスモスも満開になる頃でしょうか。ほかの秋の花々も今を盛りによく咲き出しています。気が付くと冬の前に様々なものが活発に動いてます。時の流れを本能としてわかっているものたちを意識すると、何か偉大なる存在があるような気がしてきます。


16節気 秋分 しゅうぶん(47候 すごもりのむし とをとざす)

 

 太陽の暦で1年が2つに分かれる秋の基点です。陰と陽のエネルギーが入れ替わる時期でもあるようです。大きな円の中にその直径の4分の1半径の等しい小さな円を2つ描き、それぞれ円の線半分を消してやると大きな円の中でエネルギーが回り始めます。太極の図ですね。私たちはそんな目にみえない何か大きな力によって活かされているのかなと感じてしまいます。秋春のこの時期をお彼岸とした先祖たちの感覚に敬意を抱きます。

 

 お彼岸といえばお団子ですが、とりあえずどこかで一度は食べてしまいます。春は「ぼたもち」秋は「おはぎ」というそうですが、同じ彼岸団子です。春は「牡丹」、秋は「萩」という季節の花のイメージから来ているそうなのですが、真偽のほどはどうなのでしょうか。

 

 

15節気 白露 はくろ(44候 せきれい なく)

 

 いまだに薄いふとんで寝ているのですが、朝方の寒さに体が丸くなってしまっています。そろそろ押し入れから厚いのを出さないといけなくなってきました。今年はなんだか気温が落ちるのが早いようです。

 

 秋の果物といえばいろいろありますが、葡萄が手に入ったので頬張ってみるとなんとも言えない甘い香りが広がって幸せな気持ちになります。その中でも「巨峰」が好きです。皮の肉厚な部分が美味しいのです。こうして秋はどんどんと深まっていくねですね。



14節気 処暑 しょしょ(41候 てんちはじめて さむし)

 

 暑さも落ち着いてきました。朝夕の空気の涼しさに気持ちもなんだかホッとします。旧暦の感覚は本当に鋭いですね。じっくりものを見て、じっくり考えて、そしてひとつの真理を見つける。電算機もなかった時代に天と地を眺めながら作られていったものに驚異を感じてしまいます。

 

 とは言うものの、日中はまだ暑いです。夏になれば「かき氷」というのが子供の頃からの定番なので、プールが終わったらその前のお店で食べていました。赤や黄色の氷でしたが。「かき氷」がブームなのでしょうか。最近は近所の「かき氷」専門店には暑い中行列ができている始末で、ありつくまえに倒れるのではないかといらぬ心配をしてしまいます。掛けられている蜜は梅肉や和三盆を使って作られていたり、完熟のマンゴーを添えていたりで、高級なデザートになっているようですね。

 

 

13節気 立秋 りっしゅう(39候 ひぐらしなく)

 

 かなりの暑さにぐったりしていると突然の雷雨に見まわれた秋の始まり。降った雨は土の熱を冷やすことなくまたモワッとした湿気に変わってしまいました。もう何十年も歳を過ごしているのにこの蒸し暑さにはなれません。

 この時期から季節に微かな変化が生じていくのでしょうか。甲子園で野球をやっていますが、青空の入道雲が決勝の頃になると空の様子も変わっていくのが毎年見てとれます。来週には盆が過ぎ、なんとなんく慌ただしく夏は去っていきますね。

 

 この頃の食べ物は茄子やトマトが美味しいのですが、バジリコも成長しているそうです。近所のイタリアン店では密輸生育のバジルと称してジェノベーゼを出してくれます。青々としたバジルの風味が絶品です。暑くて「そうめん」を啜るのもいいのですが、しっかりとしたパスタもまた暑さにつかれた体にさわやかな香りをくれます。



12節気 大暑 たいしょ(35候 つちうるおいて むしあつし)

 

 台風が行って梅雨が明け、夏空が見えたかと思ったらまた雨。本来ならうだるような暑さの中なのでしょうけれど、過ごしやすい大暑の入りになりました。この節気はちょうど折り返しでまもなく秋の声が聞こえ出します。季節のめぐりは歳を重ねるとなんとも早く感じるようになります。

 

 三大祭の一つ「天神祭」も催行されるようです。花火も所々でどんどん上がり、夏の夜は賑やかに彩られていくのでしょか。まぁ今年も熱帯夜と闘いながら、短き夏を頑張って過ごしたいものです。

 

11節気 小暑 しょうしょ(32候 はす はじめひらく)

 

 小暑は暑さの始まり、そろそろ本格的に暑くなっていく頃。気温差が不安定で体調を崩されている方も多いかもしれませんね。かといって毎夜毎夜寝苦しいのも敵いませんけれど。 

 今日は七夕。また雨雲の向こうで織姫彦星は逢っているのでしょうか。けれども「七夕」は秋の季語ですからこんな梅雨のさなかにはありません。今の暦で8月20日頃になります。お盆のあとぐらい、そろそろ夜には秋の気配が感じられる頃です。

 

 近代以降、旧暦と新暦が混ぜこぜになってしまって本来旧暦が担っている生活に密着していたものが形だけ残ってしまっています。単に日を数えるものだけあるならば、太陽暦が便利なのは確かでしょう。太陰暦は農耕に必要な暦だと聞いたことがあります。1年を24の季に分けさらに1季を3つに分けて72の候を意識する生活をしていた、いにしへの人々の心をこの暦から感じたいものです。

 

 

10節気 夏至 げし(29候 あやめ はなさく)

 

 6月が下旬に入り、半年が早くも過ぎようとしています。1年のうちで日の一番長い時。いつも梅雨時だからそれをあまり感じないですけれど。関西のこの辺りでは雨も強く降りだす頃ですね。もう2,3週間は梅雨空の中にいなくてはいけないのは退屈な感じがします。すでに夏休み?先取りされていらっしゃるのでしょうか”沖縄”とか”ハワイとか”ほっかいどー”とか梅雨が明けていたり無かったり、そんな所からの日記もチラホラと飛び込んできます。今夏も何処かへ行けるかな。

 

 紫陽花も綺麗に色づいてきました。私的にはちょと淋しい感じのする植物なのです。土とか雨の具合によって色を変えて楽しませてはくれますけれど。この辺りでは六甲山の植物園とかは有名ですね。あと京都の善峯寺はけっこう迫力があります。

 

 

9節気 芒種 ぼうしゅ(26候 ふそう ほたるとなる)

 

 入梅したもののいいお天気が続き汗をかいたり、思わぬ寒さに身を縮めたりの6月が始まりました。気温差が激しい毎日ですが、夏に入っているのに珍しいことです。日本の地下ではマグマがグツグツと音を立ててきたようですし、地面が揺れる回数が多くなってきたように思えます。

 

 「ほととぎす なくやさつきの あやめぐさ あやめもしらぬ こひもするかな」と古今集で誰が詠んだのかわからない歌ですが、菖蒲が綺麗に咲く時期になりました。奈良の大宇陀にある花の郷を訪ねてみましたら満開までもうあと1,2週間程度でしょうか。その頃はあじさいも綺麗に色づいている頃で、雨も多くなってきていることでしょうか。この季節に似合う花は、雨に濡れているのが活き活きとしているかもしれません。



8節気 小満 しょうまん (23候 べにばな さかう)

 

 様々な命が満ちてくる気候だそうです。「小」は小さき命なのでしょうか。軒先のツバメの巣では雛がかえっていたりもしますね。様々な小さな命が庭先にもやってきます。雨が降って日が照って、そのような単純な繰り返しで、地球に命が育んでいるのですね。

 

 奄美、沖縄地方が梅雨に入ってしまいましたが、関西ももう半月ほど後なのでしょうか。梅雨入り前、爽やかな初夏をもう少し楽しみたいものです。


7節気 立夏 りっか (20候 みみず いずる)

 

 大型連休も終わって平常に戻ります。渋滞に巻き込まれたり、満席の新幹線やUSJのアトラクション待ちなど、お疲れになられた方も多いかもしれませんが、いい連休でしたでしょうか。私は、ひたすら人混み避けてお茶していましたが、メインで使っているmacのハードディスクが吹っ飛んだり、友人のmacの修理品を持って出かけたりそれに新OS入れたりで、後半はなんだか渋滞ではありませんが機械もので追われました^^; 大事なデジタルファイルはこまめにバックアップをしておきましょう。


 暦の夏がスタートしましたが、今年はもうすでに真夏日が何度か記録されています。桜のあとでさむーい日があったり、気温が著しく変化しますね。これから梅雨も通りすぎないとまだまだ本格的な夏はやって来ませんが、そろそろバラ園が満開にもなってくる頃。もうしばらくは花で楽しめそうです。



6節気 穀雨 こくう (17候 しもやんで なえいず)

 

 たくさんの穀物を潤す春の雨が降る候なのだそうですが、桜が咲き始めた頃から雨が多い毎日です。お天気が3日と持たないのは少しうんざりとしますが、春の埃っぽさを雨が洗い流してくれて、雨上がりに目に映る木々の爽やかさがに気持ちがスッキリすることもあります。「雨もまたよし」なのでしょう。

 

 今日は月曜日、こんな雨の日には必ず「Rainydays And Mondays」がFMから流れます。"Taking to myself and feeling old (独り言を言って年をとったなと感じる…)"とてもブルーな歌詞なのですが、メロディーがきれいなのでついつい誤魔化されてしまいます。とりあえず、お天気も安定して春の名残を楽しみたいと思っている今日このごろです。

 

 

5節気 清明 せいめい (14候 がん きたへかえる)

 

 「天地が清々しく明るい空気に満ちるころ」なのだそうです。でも今日は、真っ盛りの花を散らす冷たい雨の日になりました。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。云々」と古人は言いましたが、花の盛りの満月の夜の月蝕が見たかったなと、残念です。

 

 キリストの復活を祝う日で「イースター」です。この日は春分と満月の具合によって1ヶ月ぐらいの前後はありますが、花が満ち溢れるタイミングで「新」というこの時期にふさわしいものです。さらに3日後の8日は「花まつり」お釈迦様のお誕生日でもあります。生まれ変わり新たな出発に。

 

 新年度・新入生・新社会人・新生活、「新」で始まる気持ち。清々しく明るい感情を抱くのにいい季節なのではありませんか。4月スタートというこの伝統的風習が、経済本位の合理的な理屈で変わってほしくはないなと思っています。



4節気 春分 しゅんぶん (11候 さくら はじめてひらく)

 

 季節が変わることを肌で感じられる今日。空気に何かの花の香りが乗って漂っている朝でした。桜の枝のつぼみが膨らんできて、木全体が淡い色を放っています。季節のめぐりは早いものです。

 

 道を走っていると、引っ越しのトラックがところどころにとまって作業しています。何処かへ行かれるのだろうか、また何処からかいらしたのだろうか。昨日、大阪の街を歩いていると、袴姿の女学生たちと多くスレ違いました。様々な夢を乗せて、これから歩み出すのですね。「これから」というのがなんとも新鮮な響きを持っています。「今からできるのね」と若い人たちが少し羨ましいような気にもなります。

 

 とはいっても、年齢に関係なく「さあ、これから」という瞬間は何度も訪れることを歳を重ねるとわかってきます。「もう若くないから」とか「たくさんやってきたから今さら」ということは自分で線引をしているだけなのですよね。

 暦には終わりはありません、太陽は一周して今日また春分点からスタートします。



3節気 啓蟄 けいちつ (8候 もも はじめてわらう)

 

 梅の花の咲き具合が気になる毎日です。春先に香を漂わせる梅の花は貴族たちの楽しみだったのでしょうか。春到来の喜びは花とともに始まりますね。眠っていた虫達が土の中から出てくるように、さまざまな物事が動き始める季節。

 

 日本では年度替わりで新たな出発の時期でもあります。さまざまなところで、秋始まりにシフトするような動きがありますが、「物事が実って収束していく感覚の時期」に”新たなる出発”を私たちの感覚が合わせていけるものなのかなと思うとすこし疑問でもあります。この春の景色にこそ心も動いていくのではないのかな。

 

 

2節気 雨水 うすい (5候 かすみはじめて たなびく)

 

 立春だバレンタインだと言っているうちに、空から落ちてくるのが雨に変わりました。季節の暦はじつに鋭い。一雨ごとに草木の葉がみどりを増しているように思えます。まるで眠っている何かを起こしているかのようです。



 旧暦では今日から新年。太陽もみずがめ座を過ぎて、うお座に入りました。そして新月、新しく物事が始まる日であります。なにかこれだけ重なってくると偶然ではないようですね。この1年は今までのことの答えを見、次なる年の胸はずませる夢を考えたいと思うのであります。



1節気 立春 りっしゅん (2候 うぐいす なく)

 

 昨日の豆まきと丸かぶりで福を呼び込まれましたでしょうか。まだ時折、小雪舞う寒い時期ですが、暦の上で春と聞くと空気の色が違って見えてきます。薄いパステルのような色が夕暮れ近くにふと感じられます。今宵は満月。スピリチアルな世界では、立春満月となると<パワーが漲る>みたいになるのでしょうか。でもまあ節目に天体の状況がそろうと気持ちがいいものです。

 

 「立春大吉」という言葉を見かけますが、これは禅宗のお寺の門に貼りだされるのだとか。ある時、市内にある臨済宗のお寺に見に行ったのですがありませんでした。禅宗でもこれは曹洞宗の紙札のようです。この文字は、縦書にして書いた紙を裏から見ても左右対称文字なので「立春大吉」と読めます。「立春大吉」の札のある家の中に入った鬼が家の中から振り返って反対からみた札が、「あれ立春大吉だ、まだ入ってなかったのか」といって、また門をくぐって出て行くそうなのです。なんだか大ボケですよね。

 立春まだ寒いですが、春を意識し始める時の始まりです。